不動明王 毘沙門天 多聞天 大黒天 地蔵 その他
本碑は、梅所と号し、天保9年に没した玉井村の私塾師匠片岡良の業績を記したものです。天保10年(1839)私塾子弟により建立された一種の筆塚。 書:巻大任 文:佐藤坦 刻:窪世祥 石材は根府川石(安山岩)。 書・文・刻とも当時の一流所によりつくられた碑です。 巻大任:(1777-1843)江戸時代後期の日本の書家。現・新潟県新潟市西蒲区巻生。姓は池田、後に巻を名乗る。名は大任(おほに)、市河米庵(1779-1858)・貫名菘翁(1778-1863)と共に「幕末の三筆」の1人。幼少の頃から新潟の中心部で育ち、善導寺の住職に書の手ほどきを受け、19歳で江戸へ行き亀田鵬斎(1752-1826)に書法と漢詩を学ぶ。31歳のとき書塾「蕭遠堂」を開く。平明で端麗な書風は、千字文などにより、世に広く書の手本として用いられた。門下生は1万人を超えたと伝えられ、「菱湖流」と呼ばれた流派は幕末から明治にかけての書道界に大きな影響を与えた。立原杏所(1786-1840)から、千年に1人の傑出した能書家として「上下千年」と刻した印を贈られている。 佐藤坦:(1772-1859)佐藤 一斎。美濃国岩村藩出身の著名な儒学者。諱は担。通称は捨蔵。岩村藩に仕え、12・3歳の頃に井上四明に入門し、大坂に遊学し中井竹山に学ぶ。その後、昌平坂学問所に入門し、文化2年(1805)には塾長に就き、多くの門弟の指導に当たった。 窪世祥:生没年不詳の江戸後期の石工で、「中慶雲」「広瀬群鶴(1750-1809)」とともに、江戸の3大名石工と言われています。「窪 世祥」が刻んだ石造物の年号は、文化元年(1804)~安政元年(1855)の51年間です。中村仏庵(書家:1751-1834)・酒井抱一(画家・俳人:1761-1829)・亀田鵬斎(書家:1752-1826)等の文人と親交があった。
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梅所居士廣記 梅所居士為人灑灑落落嗜在辭翰不事家 人産業當就仕籍編俉歩隊一旦擺脱放浪 山澤寄蹟於武毛間凡九年冣多居於武之 玉井村所在教授子弟以餬口意澹如也雖 則無定居間奇之徒跫然不絶又時有顓蒙 来語亦驩然相忘不敢鄙視焉乎可謂畸人 矣居士名良字伯顕片岡氏愛梅因自號梅 所天保戊戌元命一周以其孟秋念八日溘 逝友侶弟子胥議痙魄於此遠索余廣記廼 為填蒼梧謡以て替銘曰 哀骨痩神叟即 梅華零落賸馥化成落 天保十年三月下 浣 江都佐藤但為文 新潟巻大任書 窪世升鐫 |