常設展示室/石造物の部屋

血道之碑
   
血道之碑(ちみちのひ)

文政11年(1828)に大浜玄道により建立されたもので、玄道の」父が残した、急性熱性病に処方する麻黄湯(まおうとう:漢方薬の一種で、発汗作用を持つ、代表的解熱剤)、桂枝湯(けいしとう:漢方薬の一種で、風邪の初期症状に用いられる)の処方の仕方等、当時の医学の処方や心得が記された珍しい石碑です。

撰:神岡徳一、書:中村仏庵、石工:窪世祥。

神岡徳一(1797-1883):江戸後期の医者。那珂郡甘糟村(現埼玉県美里町)の代々医者を営む家に生まれる。本庄へ移り開業。

大濱玄道(1774-1828):江戸後期の医者。幡羅郡玉井村(現埼玉県熊谷市)で生まれる。医業を志して江戸に出て、法印竹田に漢方を、宇田川榛斎に蘭学を学び、玉井村に帰る。

中村仏庵(1751-1834):江戸中期から後期の書家。幕府畳方の棟梁を務める。18基余の窪世祥とコラボした石碑が確認されている。

所在地 妻沼1151(歓喜院)
種別 その他
造立年 文政11年(1828)
   
 

血道之碑(碑表)

 毎歳春穐祭毉聖張仲景于家塾今茲

 戌寅之□清酌餘醺不覚喊私言名曰

 家言吟  大濱恭有玄道父撰

文政元年仲穐望毉聖祭吟家言傷寒非外感

自呼吸入心肺走

今古一家言       病乎将不病亦一家言

     于血道或表或裏

人身之霊有備格柜          太陽之霊充于血中

        血霊而気憑亦是一家言

擠拝作是百般之症          所以天地之気憑焉

血離則霊不獨立霊

生惟血道亦一家言         此是四家言帰

        離則血不獨立

人身一軀莫不

處在一言       此言宇宙何茫茫享和元年肇

    生成于血道者

立言尓来刻苦十八年就事實試此言俯仰観

察小天地建之質之在此言茫茫宇宙不自量若

是幾其作家言

右予有所激而作秘不以人二三友人偸計而刻之

石題曰血道碑公然以建通區蓋謂将欲令玄道立

其志云于時文政十一年夏五月也恭有病在于牀

悚然不得已再記 辛卯冬 南無佛葊蓮書 窪世祥鐫

 


血道之碑 碑陰

天地者太陽神明巨霊之府也人之在其間固有是

神霊而萬焉所以稱三才矣人事之機務暫舎諸候

令今有感風寒之邪而頭項強痛噴嚔咳唾或発汗

或吐或利者此則神霊赫怒而排驅外侵之邪而不

容焉故曰人身中有良醫是也所謂不治得中醫蓋

亦此意旨巳有汗者桂枝湯此則神霊已有力故温

和以稗之無汗者麻黄湯此其神霊猶未勝發散以

援排驅之力也故曰醫者人身之臣僕是也所謂醫

者意也蓋亦復此意旨已不離又視垣一方之人亦

復不難矣夫醫者識列于天官代天工者也壹是以

奨順天之明而不戻為本彼之綏ゝ欺人欺天又自

欺以自好焉者予所不知矣及書之配剤簿之首以

為調剤局中二三子之警策

右玄道大濱先生一時之謾筆也何復以多示人雖

然偶足以啓廢碑表之文故今取以鏤之碑陰文政

戌子秋八月門人神岡徳一謹識 江戸佛庵書


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