針塚は、和裁を習ったお針子たちが、使い古した縫い針を埋め供養したもの。碑の表には「なからへは 物ぬう針の細き身も いとたのもしき み代にあいつつ 八十五歳奈遍子」と刻まれている。裏面には「この針塚は明治三一年三月井上奈遍子のために建てた」と記され、教え子ら百数十人の名が刻まれている。 この、「井上奈遍子」についての詳細は不明。明治17年の秩父事件の中心人物田代栄助の妻との説や、大麻生で塾を開いた古沢文亀の娘との説他がある。