表面に「しばらくは 花の上なる 月夜哉」という松尾芭蕉の句が刻まれている。明治35年(1902)に、熊谷の俳人四分一葉々が建てた碑で、当時の石上寺と荒川堤にはみごとな桜が咲き誇っていたことから、吉野山の桜と同じようだとの思いを込めてこの句を碑にしたとされている。