吉田二郎(六左衛門)(よしだじろう)(1842-1891)
外交官。奈良村大字四方寺(現熊谷市)に生まれる。本姓高柳。幼少より学を好み、村内の吉田六左衛門に学び、後、寺門静軒に漢籍を学ぶ。文久元年江戸に出て勝海舟の門に入り、航海術を学ぶ。文久3年に鹿児島の役が起こった際、五代友厚、寺島宗則が吉田家に逃れ匿われた時に、この2人と深く交わる。後、長崎に出て何礼之氏の門に入り塾頭となり、大隈重信、陸奥宗光らと交友、次いで幕府の海軍学校に入学し、慶応2年吉田六左衛門の養子となり、フランス博覧会用品出品事務掛けとし義父六左衛門の代理として渡仏。明治3年民部省出仕、後、大蔵省に転じアメリカに渡航、大蔵省七等出仕となる。明治7年外務省一等書記官としてアメリカ公使館勤務、米・中諸国公使館書記官、ニューヨーク総領事等に任じられ、明治20年商務省商務局長に転任し、奏任官一等に叙せられ、明治21年再度ニューヨーク総領事、後ロンドンに移り、明治24年帰国。明治14年50歳で没す。
参考文献
- 『熊谷人物事典』日下部一郎 1982年