高橋忠五郎(たかはしちゅうごろう)(1809-1880)
商家。玉井村(現熊谷市玉井)生まれ。天保14年頃、上州・武州地方に五荷棒との名で売られていた駄菓子に改良を加え、五家宝を作った。一説には不動岡の五嘉宝にならって熊谷に伝えたとも言われる。熊谷五家宝の祖。現市内本町一丁目地内に店を構えた。明治14年頃、水野丑松、風間浅五郎が修行に訪れている。熊谷本町の旧繁昌詞に「又知ル高忠ノ五嘉宝。百本一本腹充分。進物買来テ人珍重」と詠まれている。
参考文献
- 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎