篠沢大夢(しのざわたいむ)(■〜1848)教育者・医者
大夢先生墓碑(上奈良(奈良中学校西))
上奈良の代々農業を営む篠沢家に生まれ、本名則之、大夢と号しました。
子どもの頃より読書を好み、私塾を開き習字や漢学を教えました。和歌や漢詩もたしなみ、医術も行い、熊谷宿の蘭学医志村養庵とも交流がありました。嘉永元年(1848)没しています。
嘉永元年(1848)の正月に病にかかり、息絶え絶えの時、門人を集め次の言葉を述べたと伝えられています。
「人生の始まりから終わりまで、一生の間、苦しみと楽しみは心の中に交互に入り込む。誰も人の生き方はもともと同じではない。ただ、一生は夢のようである。振り返ると、この世は誰もいつかは滅びる虚しいものである」
嘉永元年(1848)の正月に病にかかり、息絶え絶えの時、門人を集め次の言葉を述べたと伝えられています。
「人生の始まりから終わりまで、一生の間、苦しみと楽しみは心の中に交互に入り込む。誰も人の生き方はもともと同じではない。ただ、一生は夢のようである。振り返ると、この世は誰もいつかは滅びる虚しいものである」
嘉永7年(1855)相続人甚平と門人により、上奈良に大夢先生墓碑が建てられています。書は江戸後期の書家で、菱湖四天王の一人に数えられた中沢雪城、石工は江戸の名匠窪世祥で、寺門静軒が、7回忌に際し送った漢詩が刻まれています。
「出夢入夢莫物不夢骨也出夢魂則入夢嗚呼先生復為何夢」
読み下すと「夢に出て夢に入りものになく、骨は夢みざるなり。魂は夢に出て、則ち夢に入りずれば、嗚呼先生また何の夢ならん」
夢でもいいから現れてという大夢先生を慕う内容となっています。
窪世升鐫
参考文献
- 2014年『幕末明治初期における庶民教育史料集成』 新井常雄 博文社