石坂金一郎(いしざかきんいちろう)(1857-1915)
政治家。安政4年(1857)、中奈良の豪農の家に生まれる。石坂養平の父。諱を勤、温斉と号す。
妻沼の両宜塾で松本万年(1815-1880)に学び、さらに独学自習して、詩文、法律、経済に精通した。
明治8年(1875)県内初の自由民権運動結社「七名社」の創設メンバーに18歳の最年少で参加し、植竹緑のペンネームで『東京曙新聞』などに投稿し多数掲載された。
明治10年(1877)20歳で戸長、学区取締、入間郡・大里郡書記、明治15年(1882)から明治26年(1893)まで県議会議員を務め、その間副議長に就く。その後、明治29年(1896)大地主枠で郡会議員を1期務め、さらに村会議員の公職に就く。
明治42年奈良小学校建築資金、44年に済生会等にそれぞれ1,000円の寄付を行うなど、社会公共のために尽くした。
大正4年3月59歳で没す。
参考文献
- 『埼玉県大里郡制誌』1923年 埼玉県大里郡編纂
- 『熊谷人物事典』1982 日下部朝一郎
- 『熊谷自由民権運動資料1「七名社」の時代』熊谷市史料集7 2021年 熊谷市教育委員会