飯田常吉(いいだつねきち)(生没年不詳)
飯田岩次郎(■-1885)の子で、飯田家彫師三代目。宮大工飯田家の同族で、市内川原明戸に住した。
秩父寶登山神社本殿・拝殿彫刻(弘化四年:1847〜明治7年:1874)を飯田岩次郎・田畑角太郎とともに手掛ける。慶応元年(1866)東松山市大雷神社本殿彫刻、明治5年(1872)熊谷市飯塚の神輿彫刻を手掛ける。神輿内には「明治五申年六月五日 当國大里郡川原明戸村 大工棟梁飯田和泉 彫工 同 常吉」と墨書されている。
秩父寶登山神社本殿・拝殿彫刻(弘化四年:1847〜明治7年:1874)を飯田岩次郎・田畑角太郎とともに手掛ける。慶応元年(1866)東松山市大雷神社本殿彫刻、明治5年(1872)熊谷市飯塚の神輿彫刻を手掛ける。神輿内には「明治五申年六月五日 当國大里郡川原明戸村 大工棟梁飯田和泉 彫工 同 常吉」と墨書されている。
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参考文献
- 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎