第45話「築地」ーつきじー |
|
この地名の場所は御正新田にあります。現在は武蔵丘陵森林公園広瀬線が通っていますが、以前は水田と畑地だけだったようです。
御正新田地内でも台地下に位置することから、もともと低い場所で大雨後には長く水が溜ることもあったかもしれません。というのも「築地」は水に関係のある地名と考えられるからです。
「築地」は「つきじ」と読まれることが多いようです。本町でも同様に読まれますが、他の例では 「ついじ、つくじ」なとも見えます。使用される漢字では「築」が多いようですが、「附・尽・槻・月」などもあるようです。これら多様な用字の差は、その土他の履歴や、形状、環境などの由来の差とも関係するようです。
築には、「築山」のように高く盛り上げた人工的に造り上げたものの意味が強いようです。そのため、築地には新たに造られた土地の中でも「埋め立て地」を云います。良く知られた例では、東京都の「築地」があります。ここは銀座以東の海岸寄りの低湿地で江戸時代明暦年間(1655〜58)に埋め立てられてからの地名です。
本町の「築地」も同じ由来を持つとすると、水田・畑地などの耕作できる土地に造られてからの地名と考えられます。和田・吉野川の流路に近いこの周りは池・沼などがあったのでしょうか。 そして川の流路には付きものの自然堤防などの高まりを削り、ここを埋め立てて水田としたのでしょうか。そうであれば地名の意味は文字通りといえそうです。 江戸時代の地誌「新編武蔵風上記稿」には新田開発の記事がみえますが、この場所であるかは判定できません。ですが時代背景として江戸時代は米が経済の基盤でしたから、生産量を増やすために耕作地も増やす努力は日本中どこの村々でも懸命に行っていましたから、「築地」の地名が新田開発に関係した由来を持つと考えても良いように思えます。
意味は異なりますが、「築地」を「ついじ」と読むと 土塀のことになります。かつての農村風景では豪農や有力百姓の屋敷周りや、寺の区画に造られる場合が多かったようです。
また「附」とすると、主たるものに従なるものが附属する意味になります。成沢地内にある「静簡院境内付」などがそのような例と考えらわます。
「尽」はつきるところの意から土地の終わる崖のような崩壊したところ、侵食したところなどが呼ばれているようです。
「槻」はケヤキの古名ですが、その樹の茂る場所との意味で使われることもあります。
このように 「ツキ」の多様な類例をみると、埋め立ての証拠を見つけないと「築地」の由来を明らかにしたことになりません。しかし、地形や歴史的背景をみると、新田開発に関係した地名の一つとして良いと思われます。
築地付近
|