「椿森」ーつばきもりー |
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椿は木偏に春と書くように春の樹といえます。民俗学者・柳田国男は、椿は冬枯れの中にあっても碧々と命の力強さを感じさせる樹との印象を持ったようです。北国では大雪の後でも陽がのぞくと、椿は最初に雪を滑り落とし、つややかな葉を鮮やかにみせる。そこに命の息吹の神々しさを古代の人々は感じとったのではないか。弥生時代以降、本州の果てまで稲作は伝藩しています。柳田国男は米や道具類と共に椿の小枝を携えて北へ向かった人々がいたのではないかと想像しています。
椿の植えられた場所は、産土(うぶすな)神を祀った社や神霊と縁の深い場所が選ばれています。古代中国の伝説では椿はきわめて長生の巨木の名で、椿寿などのように長寿を祝う意味にも使われます。また椿は早春に花を咲かせ、実をつけます。材は堅く器や家具などに、実の油は食用や頭髪油にも用いることができます。このような特性に加え柳田国男の印象にある生命力を考えると、昔から椿は人の身近にあったと思えます。
椿が地名につけられるとすると人が植えたり、自然に生えた場所を指していると考えられます。市内では字地名・小字地名には載せられていませんが「椿森」と呼ばれる場所があります。塩地区の正木・塩前付近にあり、現在は草むらの中に地蔵の彫られた石塔が建っています。周辺は正木沼の谷田に面した南向斜面の裾に位置し、路傍のため通り過ぎても気づきにくい場所です。かつては「椿森」と呼ばれた程に広く、椿が茂っていたのでしょうか。
地名の伝承では刑場の跡とも、墓地とも、社跡とも伝わっていますがはっきりしたことはわかりません。地蔵の石塔は年紀が無く、いつ造られたのか不明です。地蔵の建つ場所は、寺を除くと墓地・路傍・集落の境界と出入口のように生者・霊魂の道標となるもので、家の外・集落の外にあって衆生(しゅじょう)に慈悲を向けてくれるものと考えられています。
椿があるのも庭樹としてではなく、何らかの理由でこの場所が特別視されていたことを示すと思われます。現在も祭祀に使用されることが多い榊も椿科に属しています。
冬枯れの中でも色濃い緑葉を持つ常緑樹は不老長寿・清浄無垢の象徴として人々に根づいていたようです。そして有用な木として、神や霊魂の住まいとなる神社・墓地に植えられ、土地境界の目印などにも根を張ってきました。柳田国男はこの様な樹々の中の古木は、単に自然のまま時を経てきた天然記念物ではなく、人がそれを伐らず、守り育ててきた歴史的記念物であるとも述べています。
「椿森」の椿は失われ、地名にも残っていません。やっと人々の記憶の片隅に留まるにすぎません。
地蔵の彫られた石塔
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