読書室    

             ふるさと再発見地名は語る

   小堤こづつみー  

「小堤」は小江川地内にある地名です。ここには人家は無く、山林と耕地ばかりで昔と変わらない落ち着いた景観をしています。地形的には丘陵に挟まれた狭い谷津が良く発達し、丘陵地に良く見ることのできる谷田に開墾されています。谷の奥には「小堤沼」があり、山中より滲み出る湧水を貯えています。谷の形に合わせた細長い「小堤沼」のさらに奥には、沼の水源となっている山林に被われています。この辺りは「小堤山」と呼ばれています。地名の由来を探るヒントは前記のような地形・土地の性情にあると考えて良いと思われます。

「小堤」は文字通りの意味を採ると「小さな堤」で、おそらく沼の堤防を意味していると考えられます。沼の堤防を「ツツミ」と呼ぶ例は滑川町、嵐山町と溜池の密集地域に数多く例があり、小堤の場合も「沼」を意識して名付けられた可能性が高いと思えます。しかし、「小堤」は、コヅツミ、コッツミとも読まれ、微妙な差がみえます。

コツの語源には、「山頂、峯、丘のいただき」をいい、コツコツという擬音から固い岩山の意味も含まれると説明されています。小江川から滑川町の土塩・福田一帯は山の地盤が凝灰岩質で、随所に岩肌が露出しており、古代から古墳の石材に戴出され、近くは戦時中の防空壕や軍需物資の倉庫とした横穴が掘られています。

ツツミはいくつかの意味があります。ひとつは「障み」の文字を当て、「さえぎる、立ちふさがる」の意味を持たせています。堤防のツツミもこれに由来します。ふたつは、「包み」で「川の曲流や、山ひだなどで包まれた場所」をいう場合です。前者の「障み」は沼の堤防にあう説明になります。後者も丘陵地に挟まれた谷津地形をよく反映した説明といえます。

小堤は沼、地形のどちらでも由来を説明できそうです。どちらかといえば、地形が先で、後世は沼に関係した意味になっていくのだと考えられます。人々の関心が、地形の説明より農作業上の生命線となった水田の用水を支えた沼に置かれたことが当然であったと考えられるからです。それは主に比企丘陵地域に400ヶ所以上造られた「沼」に込められた米造りへの大きな努力が窺(うかが)えるからでもあります。

前述のように考えると、小堤沼が「小鼓」の様に中程がくびれた形をしている(実際にはあまり似ていません)ところから由来を説明する例。隣接する釜場の地に戦国時代に増田重富が陣を敷いた。その際に戦死者の骨を積んだことから、骨積になったとする例などは、形や言葉の類似性から思いついた想定・伝説の域を出ない後世の付会的な説明と思われます。


沼下の谷から見た小堤沼堤
沼下の谷から見た小堤沼堤

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