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   榎町えのきちょうー  

昭和17年、大字熊谷と石原の各一部が区画整理されたことにより榎町が誕生した。荒川大橋上流の地域は、かつて広々とした河原で、榎が多数自生しており、この地域で目標となる木名を地名にしたもの。
現在伝わっている榎については、一本榎、二本榎、五本榎の名称がある。
一本榎(荒川大橋北西):大木で、祠が祀られていた。明治36年の荒川護岸工事の際に消滅。
二本榎(熊谷南小学校前):熊谷宿と石原村の地境としてあり、明治36年荒川護岸工事で一本榎の塚を崩した際、蛇のかたまりが出てきたので、俵につめて二本榎に移したところ、地元から苦情があり、工事請負人水野丑松の所有地へ移し、塚を建て祀ったのが荒川神社であり、神社にある賽神は、二本榎の下にあったものを区画整理の際に移したもの。
五本榎:五本榎合戦または村岡合戦のあった場所とされる。1381年足利氏満の合戦、1440年一色伊予守と上杉性順・長尾景仲との戦い、1553年千葉利胤と上杉謙信の戦いがあった。

 
村岡合戦場跡と伝えられる荒川大橋上流 荒川堤に植えられている榎


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