立野遺跡第3次発掘調査(3/3ページ)

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第3号井戸の写真
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L第3号井戸
中央には、大型の円礫が投げ込まれており、その中に石臼が混じっていました。井戸を廃棄するにあたって、投げ入れたものと推測されます。
2003年1月20日撮影

第3号井戸より出土した石臼の写真
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M石臼
第3号井戸より出土した石臼。ちょうど半分に割れていました。
2003年1月21日撮影

第1号住居跡完掘状態の写真
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N第1号住居跡完掘状況
長方形の土壙とピットに切られ、ちょっとわかりづらいですが、奥(北側)にカマドが、片袖だけ確認されています。
2003年1月22日撮影

第2号住居跡完掘状態の写真
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O第2号住居跡
中央を走るトレンチと、床下土壙で、ちょっとわかりづらいです。調査区東側の壁に焼土が確認でき、ここがカマドになります。
ちなみに、住居の右手に写る円形の土壙は、埋没谷の中に造られた、近世の第4号井戸です。
2003年1月22日撮影

現場終了の記念写真
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P記念撮影
雪山をバックに、現場終了の記念撮影。
前日に雪が降り、作業はお休みになりましたが、何とか調査を終了することができました。
2003年1月24日撮影

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所 見:今回の調査は、立野遺跡第2次調査に引き続き実施しました。公園造成にかかる調整池予定地の調査でした。和田川の沖積地に南面する地点で、平安時代の集落と、近世の遺構が確認されました。
 第2次調査区とは、100mと離れていない地点でしたが、あれほど密集していた古墳群は確認されませんでした。また、古墳群の中にも平安時代の集落は確認されませんでしたので、平安時代の人々は、古墳の立地していた区域を外して集落を営んでいたことがうかがえます。
 また、狭い範囲ながら、近世の井戸が4基確認されました。近世の住居遺構は今回明確にはとらえられませんでしたが、これらの井戸は共同で使用したのでなく、一家に一井備わっていたのかもしれません。