724年 |
神亀元年2月 |
聖武天皇が即位する。(続日本紀) |
741年 |
天平13年2月 |
国分寺・国分尼寺建立の詔発布(類聚三代格)
国毎に七重塔を造り、金光明最勝王経・法華経を写し塔に納め、僧寺を金光明四天王護国之寺、尼寺を法華滅罪之寺と命名する。
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750年前後 |
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このころ、寺内古代寺院が創建される |
758年 |
天平宝字2年 |
武蔵国分寺このころまでに完成。 |
835年 |
承和2年 |
武蔵国分寺が落雷で七重塔が炎上。 |
841年 |
承和8年5月 |
武蔵国男衾郡大領壬生吉志福正、二人の息子の調庸前納を願い出て認められる。(類聚三代格) |
845年 |
承和12年3月 |
武蔵国前男衾郡大領壬生吉志福正、私費で武蔵国分寺七塔再建を願い出て認められる。(続日本後記) |
9世紀中頃 |
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この頃、寺内古代寺院整備される。 |
939年 |
天慶2年 |
平将門の乱 |
10世紀前半 |
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この頃、寺内古代寺院焼失する。 |
1034年 |
長元7年 |
この頃、大里郡の坪付が作成される。 |
1333年 |
元弘3年 |
新田義貞の鎌倉攻めの際に、分倍河原の合戦の巻き添えで、武蔵国分寺七重塔焼失。 |
1930年頃 |
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埼玉縣史編纂に伴い、稲村坦元氏が現地踏査し、古代寺院跡であることを確認。 |
1991年 |
平成3年 |
江南町千代遺跡群発掘調査会・江南町教育委員会によって寺内古代寺院の範囲確認調査が行われ、寺院の概要が確認される。 |
1994年 |
平成6年 |
寺内古代寺院跡の恒久的保存をはかるため、「寺内廃寺跡調査指導委員会」を設置し、保存・整備・管理などに関し検討を開始する。 |
1996年 |
平成8年 |
寺内遺跡第1次範囲確認調査実施。参道および参道の側溝と推定される溝を確認。 |
1997年 |
平成9年 |
寺内遺跡第2次範囲確認調査実施。参道の側溝と推定される溝を確認。 |
1988年 |
平成10年 |
寺内遺跡第3次範囲確認調査実施。
寺院跡中心部約1万uを町の史跡に指定する。 |
2001年 |
平成13年 |
寺内遺跡第4次範囲確認調査を実施。寺院地南西の区画溝の有無を確認。 |