長さ52p、幅18pの空間の周囲に河原石が二〜三段積み上げられており、上には同じ大きさの河原石で蓋がしてあり、床面には2〜7pの小石が敷かれていました。出土遺物がないためその時期は分かりませんが、その様子から子どものお墓であったと考えられます。