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熊谷市指定有形文化財 彫刻
銅造誕生釈迦仏立像(どうぞうたんじょうしゃかぶつりゅうぞう)
像全身 像上半部
所在地 永井太田
所有者(管理者) 正蔵寺(能護寺)
年代 8世紀頃(奈良時代)
像高 8.92cm
本像は、目鼻を刻む以外は細部の表現を省略した、棒状の簡素な小金銅仏である。左手を挙げ、右手を垂下して直立し、左右の手は、それぞれ第二指を伸ばして天地を指していたものと考えられる。頭部は、高く盛り上げて肉髻(にっけい)を表す。裸の上半身は、条帛(じょうはく)を右肩から左腰にかけて鏨(たがね)で刻み、下半身は裙(くん)を着ける。背面には、首元から左脇に走る斜めの線がある。鋳銅製。一鋳。ムク(空洞がない)。製造技法は、蝋型鋳造法とみられる。
なお、像に残る痕跡から、土中に埋もれていたものがいつの頃か掘り出されたものと考えられるが、伝来の詳細は明らかではない。
誕生釈迦仏は、釈迦が誕生した際に、天地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えたとする姿を表したもので、その多くが、右手を挙げ、左手を垂下させて直立する姿に表現されるが、 本像は、左手で天を、右手で地を指す姿をしている。
制作年代については、あどけない微笑みを浮かべた丸顔の面貌表現等、簡潔素朴かつ古拙な造形で、奈良時代の地方小金銅仏と共通する特色が認められることから、8世紀頃と推定される。
発掘調査の成果などによれば、熊谷市内には、少なくも奈良時代(8世紀初頭)から仏教の浸透があり、これに伴う礼拝のための仏像も多く制作されたものと考えられる。しかし、現在のところ当該時代に遡る仏像は、埼玉県内でもほとんど確認されておらず、本像は、熊谷市の古代の歴史を解明する手がかりはもとより、仏教文化の熊谷市への伝播について考える上でも貴重なものであり、さらに、北関東地域への金銅仏の浸透と普及の実態を窺わせる点においても貴重である。
なお、正蔵寺が所在する周辺は、奈良・平安時代、幡羅郡荏原郷が置かれたと比定され、古墳時代、奈良・平安時代の集落跡及び当該期の土師器・須恵器が確認された永井太田北廓遺跡(埼玉県遺跡番号61−044)が所在する歴史的環境にある。
指定年月日 令和7年2月25日