所在地 上中条1160
所有者(管理者) 宗教法人常光院
時代 江戸中期
熊谷市上中条にある常光院は比叡山延暦寺直系の天台宗別格本山であり、龍智山毘慮遮那寺常光院と称されている。長承元年(1132)、藤原鎌足を祖とする藤原系中条氏、武蔵国司判官の藤原常光公が当地に下向し、公文所を建て、豪族白根氏との婚姻により「中條(中条)」の地名を姓として土着し、館を構えて政務に精励した。
常光院本堂は、元禄4年(1691)に木造平屋茅葺屋根の本堂が再建され、寛文12年(1672)に唐破風の大玄関が再建されたと伝わる。熊谷市教育委員会の調査により、本堂より発見された棟札には「飯堂」と称される建造物の新造の建立年が記されており、貞享4年(1687)との銘が残る。本堂との関係については不明であるが、これは同時期に本堂または新造された建造物の存在を示すものである。建築様式は、方丈建築の寄棟茅葺、屋根構造は和小屋構造、大きさは正面22.5m×側面17.9mである。屋根構造は竹または丸太の垂木の上に杉皮で覆い、縄、針金の類を用いて茅を葺く方法が用いられている。
常光院本堂は中条氏及び古刹常光院の歴史的経過を今に伝える貴重な建造物として保存されており、内部意匠や建築技術の水準など特筆すべき点も多い。また、調査によって判明した内部の梁構造の特色や、長年にわたって茅葺の葺き替えを実施しながら現在まで壮観な屋根構造を維持している点などは、熊谷地域の社寺建築を考証する上で歴史的意義を有するものである。
上中条地区のみならず熊谷地域における平安時代以降の歴史や文化を考える上で、常光院の存在価値を明らかにする意味においても、常光院本堂は本市文化財にふさわしいと考えられる。
指定年月日 平成30年3月30日
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