吉原雅風(よしはらがふう)
画家。明治15年(1882)、熊谷町竹町の吉原写真館の長男として生まれる。通称義雄で、深仙斉とも称した。
雅風は、少年の頃より絵を良くし、東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科に入学し、卒業後も、同校教授の橋本雅邦に師事した。明治32年(1899)から、連合絵画共進会へ出品をはじめ、二葉会への出品を重ね、大正期には文展や帝展へ活躍の場を移していった。主に山水画で文展に連続入選し、帝国絵画協会員に推薦され、日本画壇の重鎮となる。その後、画房を東京日暮里谷中に構え、数々の名作品を残し、昭和4年(1929)48歳で急逝した。
雅風は、少年の頃より絵を良くし、東京美術学校(現東京藝術大学)日本画科に入学し、卒業後も、同校教授の橋本雅邦に師事した。明治32年(1899)から、連合絵画共進会へ出品をはじめ、二葉会への出品を重ね、大正期には文展や帝展へ活躍の場を移していった。主に山水画で文展に連続入選し、帝国絵画協会員に推薦され、日本画壇の重鎮となる。その後、画房を東京日暮里谷中に構え、数々の名作品を残し、昭和4年(1929)48歳で急逝した。
「臨池洗硯(りんちせんけん)」 熊谷市指定有形文化財 絵画 |
参考文献
- 『熊谷人物事典』日下部一郎 1982年