竹井耕一郎(たけいこういちろう)(1868-■)
法学者、文人。竹井澹如の嫡男として、明治元年(1868)に生まれる。星溪と号す。
東京府第一高等中学校、東京帝国大学、大学院と進み、憲法学を専攻した法学士。卒業後は、早稲田大学、一橋大学で憲法学の講座をもち、新進気鋭の学者として名をはせた。著作に「帝国憲法論」、「行政注汎論」がある。
教授時代は牛込区(現新宿区内)に居を構えたが、肺疾患を患い、憲法学者としてのキャリアは途絶えた。
また、耕一郎は漢籍の造詣深く、詩文に優れていたことから文化人、趣味人として残りの半生を生きた。神奈川県大磯町東小磯に別邸を設け悠々自適の生活を送った。
昭和5年には、池亭(現星溪園)に積翠閣を新築している。禅学に興味を示し、成道会を主宰し、毎月1日に池亭内で専門家を招いて例会を催すなど、「熊谷」を文化的な活動拠点とした。
昭和8年には星溪園の石碑に撰文している。
星溪園(旧)積翠閣 | (旧)星溪園碑 |
参考文献
- 1917『熊谷大観』 下田江東 埼玉民報社