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清水藤左衛門(しみずとうざえもん)(1880-1952)

昭和8年清水屋熊谷駅弁掛紙 清水屋熊谷駅弁掛紙

清水藤左衛門
『熊谷大火災誌』
大正15年:斎藤浪潔
商人・政治家。明治13年(1880)、中山道熊谷宿の宿屋「清水屋」に生まれる。第15代当主。清水家は、熊谷宿で宿屋と共に、年貢取り立てや土地関連事務を扱う「百石組」を担い、代々藤左衛門を名乗る。
明治33年(1900)3月、旧制熊谷中学第一回生として卒業。
明治40年(1907)6月、日本鉄道が国有化された翌年に、熊谷駅での弁当類の販売許可を得て、熊谷駅前に客待ちの茶店を出し、駅売り弁当や熊谷五家宝の駅売りを行った。
大正4年(1915)9月、熊谷町選出で、大里郡会議員となり1期を務めた。昭和8年(1933)、熊谷市政施行後議員に当選し2期務め、第1代市議会議長に就任した。
昭和11年(1936)に熊谷市第一土地区画整理組合が設立されると、同組合長に就任し市政に貢献した。
また、東京諸新聞販売、埼玉無尽株式会社(後の武州無尽株式会社で、後継銀行は日本相互銀行→太陽銀行→太陽神戸銀行→太陽神戸三井銀行→さくら銀行→三井住友銀行)を興す。昭和27年12月72歳で没す。
下写真は、明治40年〜大正7年の間に発行された「中仙道 熊谷町清水旅館」の絵葉書。中山道に面して、清水旅館の看板が掛けられた、2階建ての建物が写っている。
明治40年〜大正7年 中仙道 熊谷町清水旅館
昭和8年地図清水屋位置

参考文献

  • 『埼玉県大里郡制誌』1923 埼玉県大里郡編纂
  • 『会員の家業とその沿革』1958 大野靖三
  • 『熊谷市史』後編 1980 熊谷市
  • 『熊谷人物事典』1982 日下部朝一郎