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柴田侑堂(しばたゆうどう)(1913−2006)

俳人・書人。俳号白陽。市内上新田生。18歳で書の道に入り、熊谷市書人連盟、埼玉県書道人連盟、書道団体「洸風会」の創設に参画し、埼玉県美術家協会においても要職を歴任し、その功績により埼玉県文化功労章を受章するなど、郷土の書道界の振興に大きな足跡を残す。また、俳誌『相思樹』を主催し、朝日新聞・産経新聞の俳壇選者を務めた現代俳句人。平成18年93歳で没す。
昭和60年に、石原東漸寺境内に句碑「父祖の地や ぬくもりふかき 百日紅」が柴田侑堂先生句碑建立委員会により、平成2年11月に上新田諏訪神社境内に句碑「父祖の地や 桑の畑より 神の社」が柴田白陽先生句碑建立委員会により、平成3年5月5日に大麻生大栄神社境内に句碑「永久に残る 碑の人々に 風薫る」が、建立されている。
 また、昭和54年に芭蕉句碑(妻沼歓喜院)「むざんやな 甲のしたの きりぎりす 」、昭和58年に宮崎利秀句碑(大我井神社)「下駄ばきの 一教師たり 稲の花」の書を揮毫している。

参考文献

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎

柴田白陽句碑(上新田諏訪神社) 柴田白陽句碑(大麻生大栄神社)
     
柴田侑堂書芭蕉句碑(妻沼歓喜蔭)    柴田侑堂書宮崎利秀句碑(大我井神社)