三陀羅法師(さんだらほうし)(1731−1814)
三陀羅法師歌碑(鎌倉町石上寺)
狂歌師。江戸神田に住む。唐衣橘洲の門下といわれ、千秋側の主宰者となって一派をひきいた。姓は赤松、のち清野。名は正恒。別号に一寸一葉、千秋庵。編著に『狂歌三十六歌仙』『狂歌三陀羅かすみ』などがある。文化11年84歳で没す。
石上寺境内に「我も其 阿弥陀笠きて 咲く花に うしろハ見せぬ 熊谷さくら」の歌碑がある。この歌は、三陀羅法師が文化5年(1808)3月13日熊谷を訪れ、漢学者青木金山主催の石上寺で開催された書画会に、窪天民、浦上春琴、谷文一、釧雲泉らと共に臨席した際に詠んだもので、熊谷直実の歌詠「浄土にも剛のものとやさたすらん。西に向ひてうしろ見せねば」に拠った。「阿」の字は、後刻。林有章が、『名勝熊谷桜』の中で「此砕いたゝき折れて阿字を失い石上寺にありければ之を補ひ再び建てぬ 明治壬寅春 幽嶂 我も亦其笠借らん花七日」と記している。
参考文献
- 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎