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大河内久綱(おおこうちひさつな)(1570-1646)

武将。徳川氏の家臣大河内秀綱の子として、三河国に生まれる。孫太郎・金兵衛と称した。

慶長15年(1610)家康に仕官する。元和4年(1618)父秀綱が死去すると家督(武蔵國高麗郡710石)を相続する。

幕府直轄領の年貢に関する実務を行い、慶長年中に、現在の熊谷市立妻沼小学校の場所に置かれた妻沼陣屋(代官所)の代官となる。元和7年(1621)には、熊谷町を検地、寛永4年(1627)〜11年(1634)にかけて羽生領を検地している。元和7年〜寛永3年(1626)まで、忍城城代となる。寛永15年(16382月に妻沼陣屋を引き払う際、その土地及び村の沼地を開いて供田として歓喜院に寄付したと伝えられている。

江戸時代後期に編纂された「干城録」(かんじょうろく)に、「子の松平信綱のところには、老中という職業柄多くの進物が届いていたが、それを父にふるまっていた。久綱は、その進物を少しずつ換金しており、あるとき貯まった貯金で具足を調えて信綱に返したので、信綱が大変驚いた」との逸話が記されている。

参考文献

  • 『干城録 92000 林完勝校訂 人間舎

    「近世初期幕領における武州妻沼陣屋と大河内久綱―年貢割付状をもとに支配領域を考えるー」『熊谷市史研究 第11号』栗原健一 平成31

  • 『埼玉人物事典』埼玉県 1998年