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長嶋作左衛門(ながしまさくざえもん)(1894-1971)

明治27年(1894)、幡羅郡上江袋村で、寛永16年(1639)以来世襲名主の長嶋家に生まれる。当主は代々「作左衛門」を名乗った。嘉永4年(1851)に建立された、聖天山歓喜院の喜惣門(国指定重要文化財)の獅子木花3基には、寄贈者「長嶋作左衛門」の名が刻まれている。
幡羅高等小学校から熊谷中学、早稲田大学法学部に進み、卒業後帰郷し、25歳の時、太田村学務員に就任し、大正10年(1919)には村議会議員となる。以来6期務め、太田村の発展と住民福祉の向上に力を尽した。この間、太田村農業会長、大里郡乾繭組合長、埼玉県乾繭組合連合会長等を歴任した。昭和19年(1944)には太田村長に就任し、戦中戦後の村政を担当した。
昭和21年(1946)村長を退任し、一切の公職を退き、悠々自適の生活に入り、植木や小鳥を愛好した。特にカナリアの飼育については、日本有数の権威者として全国に名を知られた。また、乳牛についても研究し、北海道まで出向いて優良牛種を導入し、当地の酪農の振興に貢献した。
昭和46年11月29日78歳で没す。
歓喜院貴惣門木鼻 獅子 木鼻獅子下部「江袋村 長嶋作左衛門」

参考文献

  • 1977『妻沼町誌』 妻沼町役場