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森田欣然(もりたきんねん)天明元年(1871)―天保8年(1837)


欣然庵筆塚碑 歓喜院境内(拝殿南、赤子稲荷神社付近)

教育者。天保8年、妻沼の一本木の田島善兵衛の二男に産まれる。名を良隆、欣然と号す。幼少より江戸の市川米庵に書を学ぶ。西城の森田家に婿入りし、文政2年(1819)に私塾を開業し、書や俳諧等を教える。天保8年(1837)夏57歳で没す。
妻沼歓喜院境内(拝殿南、赤子稲荷神社付近)に、門人達により、筆塚碑が造立されている。
この碑の撰文は、昌平坂学問所塾長を勤めた佐藤坦、書・題学は、幕末の3筆と称された市川米庵、石工は、9代続いた江戸の名匠廣群鶴。

参考文献

  • 「熊谷(幡羅郡)における寺小屋の実態」『幕末明治期における庶民教育史料集成』2014年 新井常雄 博文社