御正山圓盛(みしょうやまえんせい)(1778-1842)
市内押切に所在した本山派修験の東揚寺第十世。安永7年(1778)市内大麻生村飯田家に生まれる。諱は圓盛、字は君履、有朋堂、清寧斎、休祥。幼少から学問を志し、全国巡錫後、市内押切の修験寺院御正山東揚寺を嗣いでいる。温順篤実な人柄で、家塾を開き、子弟の教育に尽力した。
田章伯煥からの依頼で、「熊谷八景」の詩文の添削を行っている文書が、御正山家に伝わっている。
また、三ヶ尻の龍泉寺に逗留した渡辺崋山(1793-1841)と歓談し、作詞や作画を楽しんだことが、崋山の『客座録』に記されている。天保10年(1843)11月没す。
天保15年(1848)、「権律師圓盛上人之墓碑」が、造立されている。撰文は佐藤坦、書は大竹培、石工は江戸の三大名石工の窪世祥。
参考文献
- 新井 端「熊谷八景の詩文についてー御正山家文書からー」『熊谷市史研究』第14号 令和4年 熊谷市教育委員会