光運和尚(こううんわしょう)(1791-1859)
光運和尚碑(石橋供養塔)(柿沼龍昌寺)
僧侶。龍昌寺16世。埼玉郡若小玉村(現行田市)生まれ。9歳の時龍寺16世に就いて剃髪、学を修め、23歳の時大里郡御正村浄安寺、37歳の時龍昌寺に移る。この間密法に精修し布教の傍ら、村人に読書習字を教え、倹約をして田畝一町、山林一町六段を購い寺産となし、備金200両を営繕費に充てた安政6年6月29日69歳で没す。
明治16年村人相謀り、光運和尚の遺金をもって村内に石橋3か所を架し、これを光運橋と称した。明治19年11月に光運和尚の事跡を惜しんだ邑長及び門人が石橋供養塔を建立している。篆額:学斉林昇、撰・書:法類真光寺住職沙門光賢。
参考文献
- 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎