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飯田 重太郎(いいだ じゅうたろう)(1874-1952)

和算家。川原明戸の飯田沖次郎の次男として生まれ、23歳の時飯田善右衛門の養子となる。

明治27年清水定次郎鎮義の塾に入り、和算を学ぶ。明治38年自宅に和算塾を開いた。重太郎は、性格温厚にして、懇切丁寧に弟子を指導したことから、県内各地より90余名の生徒を集めた。

昭和26年2月、教え子達により、古希を越えた重太郎を祝し、その恩に報いるため「飯田先生碑」が建てられている。碑の撰文・篆額・書は石坂養平。同年8月には、川原明戸の諏訪神社に教授資料中の三問を選んで算額を奉納している。

参考文献

1982年『熊谷人物辞典』 日下部朝一郎 国書刊行会