弘中又一(ひろなかまたいち)(1873-1938)
弘中又一 | 弘中又一解説板(宮町一丁目) |
教育者。夏目漱石の『坊っちゃん』主人公のモデルとなった人物。明治28年4月漱石が英語教師として愛媛県松山中学校に赴任した際、一か月遅れで、数学教師として赴任。約1年漱石と一緒となり、弘中の「ボンチ」(松山地方の方言で坊っちゃんの意)からヒントを得て『坊っちゃん』という小説名を付けたといわれる。
その後、明治33年4月より大正8年5月まで熊谷中学校(現熊谷高校)教師を務める。熊谷では、市内の宮町一丁目(現在のさいたま地方裁判所熊谷支部南側)の借家に住んでいた。現在、その家は残されていないが、ブロック塀に解説板が掲げられている。
『熊谷高校八十周年誌』には、「弘中又一」のエピソードとして、「ドジョウを買ったが、入れ物が無いので、かぶっていた山高帽の中に入れて持ち帰った」「荷車を引いて歩くのに山高帽にフロックコートをはおって引いていた」等々が紹介されている。昭和13年8月6日65歳で没す。
年表
和暦 | 西暦 | 出来事 |
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明治6年 | 1873 | 山口県湯野村(現周南市)に生まれる。 |
明治23年 | 1890 | 同志社大学入学 |
明治26年 | 1893 | 12月山口県柳井小学校高等科英語代用教員となる。 |
結婚。又一20歳、タカ17歳。 | ||
明治27年 | 1894 | 同志社大学卒業。 |
明治28年 | 1895 | 愛媛県松山中学校へ単身赴任。月俸20円。 |
明治29年 | 1896 | 4月愛媛県東予分校(現愛媛県立西条高等学校)に転任。 |
11月東予分校依願免職。徳島県第二中学校教諭となる。 | ||
明治33年 | 1900 | 埼玉県尋常中学校第二分校(旧制熊谷中学、現埼玉県立熊谷高校)に赴任。月俸45円。 |
明治39年 | 1906 | 夏目漱石『坊っちゃん』をホトトギス4月号に発表。翌年単行本化。 |
大正8年 | 1919 | 熊谷中学校を退職し、京都の同志社中学校へ赴任。 |
昭和13年 | 1938 | 死去。享年66歳。 |