林 頼三郎(はやしらいさぶろう)(1878-1958)
法学者。忍藩士三輪礼三の四男として忍(現行田市)に生まれる。明治24年、学業を終えると、北埼玉郡役所給仕となる。郡長林有章に、勉学熱心と誠意を見込まれ養子となる。明治26年9月、勉学のため上京し、高橋拾六の書生となり、東京法学院(現中央大学)法律家を卒業する。明治30年に司法官試補、明治32年東京区裁判所判事、明治44年大審員検事、大正9年法学博士、大正13年司法次官、昭和2年大審院検事、昭和7年検事総長、昭和10年大審院長、昭和11年広田内閣の司法大臣となる。昭和12年貴族院議員、昭和13年〜21年枢密顧問官、昭和13年中央大学学長を務める。
昭和16年勲一等、昭和18年従二位、旭日大綬章を受ける。昭和33年79歳で没し、正二位を追贈される。
著書に『刑法総論』『日本陪審員法要義』等。
「高木神社参拝林有章七十七歳及林頼三郎」 『有章閑話』林有章著:昭和10年 |
林頼三郎顕彰碑 行田市水城公園 |
『啓治訴訟法論』 大正6年 林頼三郎 国立国会図書館デジタルコレクション |
参考文献
- 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎