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林学斎(はやしがくさい)(1833-1906)


光運和尚碑(石橋供養塔)(柿沼龍昌寺)
篆額:学斉林昇、撰・書:法類真光寺住職沙門光賢

大学頭。江戸の林羅山の十二代代孫。名を昇、字を平仲と称した。安政6年大学頭を継ぎ、従五位に叙された。明治7年司法省明法権大属となり、明治21年日光東照宮主典を務め、明治33年退官。東京の自宅が火災にあい、林家の採地であった市内柿沼の四分一兵衛に迎えられ、離れを隠居所とし、付近の子弟に学問や書を教えた。明治39年7月14日74歳で没す。

参考文献

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎