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愚禅和尚(ぐぜんおしょう)(1733-1829)

馬頭観音(久下) 馬頭観音(広瀬)
僧侶。比企郡羽尾村の須沢家の養子になり、近くの興長禅寺の癡天愚(ちてんぐ)和尚により剃髪後、延享3年(1746)長州功山寺に赴き修行。宝暦11年(1761)武州忍領龍光禅廓会首職、翌12年(1762)には村に戻り興長寺20世住職となる。寛政元年(1789)大乗寺43世貫主に推戴された後、文化5年(1808)熊谷宿原島の福王寺を開基し、「観音構式」の校訂や「仏道事引草序」の著述を行う。板石塔婆や石塔、山門碑など各地に多くの筆跡を残している。また、雨や水にかかわる数々の逸話が残されている。日照りが続き「雨乞い」の祈祷を頼みに来る者が多く、和尚が祈祷をするとたちまちに豪雨が降ってくるといわれる程霊験あらたかで、頼みに行く者は帰りに降られてもよいように雨具を用意するようになったといわれていた。また、「龍」の字を得意とし、この軸を掛けるとたちまち雨を呼ぶということから「雨乞いの龍」といわれ「火伏せのお守り」として掲げていた家もあり、現在も大切に残されている。文政12年3月1日97歳で没す。
市内広瀬・久下等に、愚禅筆の馬頭観音や供養塔が残されている。
馬頭尊(広瀬)
供養塔(久下) 庚申塔(桜木町)

参考文献

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎
  • 2014『熊谷市史 別編1 民俗編』熊谷市教育委員会