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権田義長(ごんだよしなが)(1772-1854)

和算家。権田義長は、文化4年(1807)三ヶ尻に生まれ、?久郎、正賢、桃寿とも称しました。
当初、和算を川本村本田の鯨井一興に習い、後、関流四伝の桜井正一に師事し、三ヶ尻村の村吏事務に従事しました。
元治元年(1864)造立の和算家代島久兵衛(1779-1863)の墓碑に名が刻まれています。
慶應2年(1866)には、門人たちにより、三ヶ尻の幸安寺に「徳行之表」と題する顕彰碑が造立されています。碑裏には、門人200名余の名が刻まれており、多くの門人を指導したことがうかがえます。
明治11年(1878)三ヶ尻の龍泉寺観音堂に算額を掲げ、門弟9人と各1問を解いています。また同年、深谷市畠山の萬福寺にも算額を奉納しています。
明治14年(188175歳で没しています。

 
幸安寺「徳行之表」

参考文献

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎
  • 『北武蔵の和算家』山口正義 平成30年 まつやま書房