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代 定七(だいさだしち)(1814-1875)

俳人。文化12年(1815)、二代五渡(理兵衛)の子として生まれる。五渡と号す。別号越鳥、有磯庵、釣翁。12歳の時父と死別し、親戚の鈴木家に養育され、成人後大和屋を継ぐ。
釣りを愛し、俳画も得意とした。芭蕉翁を慕い、各地を遍歴し交友を深め句を作る。俳画も巧みで、花を愛し釣りを好み釣翁とも称した。
慶応4年(1868)歓喜蔭境内に句碑「雉子塚の碑」を建てる。
著書に『皐月紀行』がある。明治8年11月12日81歳で没す。法名「五渡藍如居士」。
没後の明治9年に『五渡発句集』が刊行される。春之部には、「船にくむ川水くらしはつからす」「唇も紙も汚して筆はじめ」等の句が掲載されている。

   
 『五渡発句集』 歓喜院「雉子塚の碑」 

参考文献

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎
  • 2016「熊谷の俳諧」『熊谷市誌研究』第8号 内野勝裕