秋山要助(あきやまようすけ)(1772−1833)
剣客。旧埼玉郡箱田村に紺屋の子として生まれる。諱は正武、通称要助。父善太郎から、鹿島新当流を学び、その後、江戸の神道無念流の達人戸賀崎熊太郎道場の高弟岡田十松に師事し、さらに岡田吉利の撃剣館に入門した。19歳で「突く、引く、突く」の奥義を極め、免許皆伝を受けて、郷里に帰った。寛政12年(1800)常陸国多賀郡平潟村で撃剣館の同門大橋平吉の仇討に助成し剣名をあげた。
その年、忍藩剣道師範三田三五郎を御前試合で打ち負かしたことから、所払いとなって出奔。全国各地を歴遊した。その後郷里箱田に帰り、道場を持ったのは40歳前後の頃と言われている。
秋山流剣術元祖として、箱田村をはじめ、武州、野州、上州などに道場を開き、約2,000人の門人を指導した。弟子の一人の大川平兵衛(1801-1871)には、尾高惇忠(1830-1901)、渋沢宗助(1795-1871)が師事しています。
文政7年(1824)、上毛木崎雲岫和尚に参禅剃髪して、秋山入道雲嶺と号し、愚然和尚より剣禅一如の妙を体得した。
天保4年(1833)8月25日62歳で没す。佐野の興福寺に葬られ、辞世の「世の中はただ春の夜の夢なれや富も誉もいかにとやせん」が、墓に刻まれている。
秋山要助が登場する小説に、『幕末浪漫剣』鳥羽亮、『秘剣風哭剣狼秋山要助』鳥羽亮、『武蔵野水滸伝』山田風太郎、『狼の眼』隆慶一郎等がある。
秋山要助出生の地解説板(熊谷市箱田)) | 秋山要助墓(佐野市興福寺) | 『秋山要助』1897年 伊東陵湖:公演 加藤由太郎速記 両輪堂 国立国会図書館デジタルコレクション |
参考文献
- 1897年 『秋山要助』 伊東陵湖公演 加藤由太郎速記 両輪堂
- 1939年 『剣豪秋山要助伝』 酒井天外
- 1982年 『熊谷人物事典』 日下部朝一郎