現在の位置:ホーム > 熊谷の偉人の部屋 > 熊谷Person dictionary > 赤石文次郎

赤石文次郎(あかいしぶんじろう)

生没年等の詳細は不明ですが、明治から昭和初期にかけて妻沼に居を構えた石工で、大正12年(1912)造立の妻沼聖天山芭蕉句碑、昭和2年(1927)造立の大我井神社初穂組合記念碑、昭和6年(1931)造立の妻沼聖天山石門碑、昭和10年(1935)造立の弥藤吾の観清寺句碑(芭蕉疑義句)に名が刻まれています。
昭和5年(1930)発行の、『大日本職業別明細図』の妻沼町を描いた地図に、「赤石石材店」と記されています。
また、『埼玉苗字事典』第5巻上には、「赤石 アカイシ 三 信州木曽御嶽山清滝不動尊弘化四年碑に武州妻沼宿赤石文次郎・赤石清兵衛」と記載されており、弘化4年(1847)から昭和10年(1935)まで88年間石工として活動していたことになり、二代に渡り同名を名乗っていた石工の可能性もあります。

大正12年(1912)造立の妻沼聖天山芭蕉句碑

昭和6年(1931)造立の妻沼聖天山石門碑

昭和10年(1935)造立の弥藤吾の観清寺句碑(芭蕉疑義句)
※画像をクリックすると拡大表示します。

参考文献

  • 『熊谷市史 資料編8』近代・現代3(妻沼地域編) 平成31年 熊谷市
  • 『埼玉苗字辞典』第5巻上 令和4年 茂木和平