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   新堀新田にいぼりしんでんー  

1.新しく用水がほられ(新堀)て、今まで原野だったところが開発されて新しい田になったので、この名が生じた。

2.武蔵国郡村誌によると「・・・正保(1644〜1647)の頃、新堀村を分割して、新堀新田村となす。」と記されている。はじめ新堀村内にあり、新しい田が多くできたので、「新堀村の新田」と呼ばれていたが、その後も新田ができ、大きくなったので上のように新堀村からわかれ新堀新田になったものと思われる。〔小久保〕

3.「新堀新田村々誌」によると、古くから新田村と唱えていたが新田村という名がひどく一般的であるため、時代が進むにつれて、どこの新田村か分からないと困るようになった。そこで、上の「村誌」によると、永禄年間(1558〜1569)の頃、新堀をかんして“新堀新田”と唱えるようになったが、はっきりしない。

由来の3の説よりも、2の説「武蔵国郡村誌」による正保(1644〜1647)の頃、新堀新田と唱えたとする見方のほうがより妥当だと思われる。〔小久保〕




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