はじめは、中奈良と一村をなしていたようだが、しだいに開発されて大きくなり、中奈良からわかれたらしい。「新記」には、“中奈良新田村”と記されている。それが、いつの頃からか“中”の字がとれて“奈良新田”となったものとみられる。