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   長井の起源ながいのきげんー  

明治22年の村制施行の際、上根、江波、八ッロ、上須戸、西城、田島、西野、善ヶ島を併せて長井村と称した。従って今の長井の名は明治からの新しい村名である。
その訳は往昔、この辺一帯が長井庄(ながいのしょう)(永井庄とも書く)に属していたことによる。現在の長井地区、妻沼町などは利根川沿岸の平地で、平安末期(およそ900年前)には本庄が平宗盛の領有となり斎藤別当実盛が荘司を務めていたことが『平家物語』に見られる。実盛は居住地を西野郷に置き此処を首邑の地としてこの地帯を治めていた。
地元史家藤野三吉氏は、「源平のころ既に長井庄には長井姓を唱えていた人がいた。長井太郎義兼である。太郎義兼は源家に属して多くの勲功をたてた。また南北朝時代に長井氏は北朝の足利方で、斎藤氏は南朝方で或いは新田氏に属し、或る時は北畠氏に加担し、終始一貫勤王の大義を重んじ宮方のために尽くし、あくまで地元住民の安寧と平和で豊かな生活を望んでいた。正に一所懸命を旨として生きた先人として讃えるに値する。」と説く。
それでは、長井という地名はどのようなルーツによって生まれたものか改めて考えたみたい。長井の語義は大山雄三氏によると、天喜5年源頼義、東北の安倍氏追討の折この地利根川右岸に到着し、増水のため川渡りができず、長逗留してしまったので長居(長井)にした。『八幡宮後鎮座伝記』と、『やさしいめぬまの郷土史』(広報めぬま)で述べている。
一方、『埼玉県地名辞典』(韮塚一三郎著)では長井の語義は、から起こったものとしている。井は水の集まる所の意味があり、それにと付いている。この場合の長は細長いの義ではなく広大の意味であることから、利根川沿岸で池沼や河川が多く自然呼称的に固定化した名前とも考えられる。
また、平成10年大字西城に建てた『長井城跡碑』の由来を見ると
往古北東に福川、南は入胎堀と長安寺沼が回るこの地は縄文より開け(中略)平安 の初左近衛少将藤原義孝の領となり五代の裔幡羅太郎道宗館を構え息助高此処を本丸 に長井城を築き(中略)西城と称す。
いずれにしても、その土地の名は地形的、情景的、宗教的、行政的の他、人物名や俗称などによって、極めて適切かつ具体的簡略的に表現された地歴学の凝縮であると言える。
参考『埼玉縣大里郡郷土誌』・『埼玉県地名辞典』ほか


昭和30年、1町4カ村が合併して新生「妻沼町」が誕生しました。
(画像の町村をクリックすると説明ページに移動します。)

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