「
間々田
」
ー
ままだー
始め天領地であったが、元禄11年数原通玄、吉田春湖、水野安之進の采地となり、文化9年その一部を藤本主計に給した。
間々田は利根川沿岸の地であるが
まま
の意は崩れ岸の意と解せられ、
まま
はアイヌ語で
めめ
(崩壊を意味する言葉)からきた言葉であると言っている。
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