「熊谷」ーくまがやー |
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1.伝説によれば熊谷次郎直実の父直貞が人民をなやましていた大熊を退治したので、この地を熊谷と称し、自分の屋号も熊谷とした。〔新記〕
2.クマガヤは神谷(クマケヤ)の意味で、高城神社の鎮座によって、この名がおこった。〔埼玉県地名誌〕
3.クマガヤは、曲谷(クマカヤ)の意味で、この地で荒川が大きく曲がっていることからこの名がおこった。〔埼玉県地名誌〕
4.アイヌ語(クマカヤkumakaya)で「魚棚の乾場」という意味で、そばを荒川が流れていることからこの名がおこった。〔大島〕
5.やまと言葉の転化による。すなわち往古のむさし野のこの地方は行けどもつきぬ隈(クマ)なき茅(かや)おい茂る里であったため、これが転化して「くまがや」となった。〔S氏の説(熊谷郷土会誌12号)〕
6.米作にちなむ地名と思われる。稲は、熊襲民種(くまそみんしゅ)によって日本にもたらされたと考えられ「古事記」でも「日本書紀」でも「稲」を「くま」と訓じ「神稲(くま)」と綴ったところから後に転じて「神」の字を「くま」と訓ずるようにさえなった。(これは2説にもつながる。)このような稲とくま(熊)の関係から稲のよくとれるところ。米作の中心地につけられた名前とみなされる。〔熊谷市史稿〕
著名な鎌倉武士熊谷次郎直実の出身地であり、直実に関するものとしては、直実の墓所のある熊谷寺(ゆうこくじ)などがある。近世に入って交通の要地となり、江戸時代には中山道六十九次の一つとなり、本陣・脇本陣などが整備された。
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