「拾六間」ーじゅうろっけんー |
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1.拾六間は、十六軒の当て字であろう。
つまり、この名は、十六軒で村の草創を語る地名と思われる。〔埼玉県地名誌〕
2.「人皇七拾代後冷泉院天皇 御宇天喜五年(1057)逆賊安部ノ頼時追伐勅命ヲ征夷大将軍源頼義公下向ノ際 隣村三ヶ尻ノ里ニ於テ奥州ノ方ニ向テ御宿陣アリ。依テ地名ヲ十六間村ト唱ケリ」と「拾六間村々誌」にある。つまり、前九年の役のさい、源頼義が来て隣の三ヶ尻村に宿ったのだが、兵士たちは、この地に長さ十六間ほどの兵舎をたてて泊まったので、それから、この地を拾六間と呼ぶようになった。
なお、一説には、長さ十六間ほどの兵舎ではなくて、16の兵舎を建てたので、はじめは十六軒であったが、それがいつの頃からか軒が“間”に変わったものと思われる。この説は1の説にも通じている。〔拾六間村々誌〕
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