野原地区の字丸山と茅原境に、四基の庚申塔に混じって赤い襷(たすき)を掛けたお地蔵さんが立っています。土地の人々はこのお地蔵様を「夜泣き地蔵」と呼んでいます。
昔、若いお嫁さんに可愛い赤ちゃんが生まれました。色の白いそれは可愛い女の子でした。しかし困ったことに、夜になるといつも泣き出し、なかなか泣き止みません。はじめは可愛がっていた家の人達も、この泣き声には我慢できなくなり、「赤ちゃんの泣き声がうるさくて、眠れない」とお嫁さんにまで当たりちらすようになりました。お嫁さんも、泣きたい程困り切ってしまいました。木括らしの吹く冬の寒い晩でも、赤ちゃんが泣き出すと、おんぶして家の外へ出て泣き止むまでおもりをしなければなりませんでした。
ほとほと困り果てたお嫁さんは、ある晩、村境に立っているお地蔵さんの前にひざまづいて、「お地蔵様、この子の夜泣きが止まらないので、いっそ死んでしまいたい程因っております。どうぞお助けください」と、涙ながらにお願いし、七日間の願かけをしました。
それからは雨の夜も、雪のちらつく夜も、お嫁さんは泣く赤ちゃんを背負って、毎夜、お地蔵様の前で熱心にお願いしました。
ちょうど七日目の夜中のことでした。お嫁さんの熱心なお願いが、お地蔵様に通じたのでしょうか、背中で泣き続けていた赤ちゃんの泣き声がぴたりと止まりました。夢かと驚き、喜んだお嫁さんは、涙ながらにいつまでもお地蔵様にお礼を申し上げていました。
それから後は、赤ちゃんの夜泣きはすっかり止み、夜も静かによく眠り、すくすくと丈夫な子に育ったそうです。お嫁さんは早速赤い襷とよだれ掛けを作り、お地蔵さんに厚くお礼を申し上げました。
この話を伝え聞いた村人は勿論、近くの村々からも、赤ちゃんの夜泣きが止むようにとか、丈夫な子に育つようにと願掛けに来る母親が多くなり、最近までお参りする人の姿が見られました。
このお地蔵さんは、はじめ丸山、芽原、下土塩の村境にありましたが、道路改修のため何回か建立場所が変わり、今は天王社の東側道路脇に庚申塔数基と共に祀られています。
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