今からおよそ八百年ぐらいむかしのことです。
熊谷に館をかまえる騎西党の頭領、熊谷次郎直実の家来に権太某という男がいました。
権太は、一日中、馬の世話をしていてもあきないほどの馬ずきで、しかも、馬を育てることにたいへんすぐれていましたので、主人直実の馬の世話係をしていました。
ある日のこと、直実は、馬屋ではたらいている権太に声をかけました。
「馬の調子はどうじゃの。」
「はい、お館さま。いつでも乗れるように、毎日せいいっぱい世話をしております。」
「ご苦労。それにしても、もっとよい馬を手に入れたいものだ。」
直実のことばに、権太は、日ごろ考えていることを主人に話しました。
「お館さま、やっぱり馬の産地はみちのくでございます。もし、おゆるしが出れば、みちのくまで下って、きっとよい馬を手に入れてまいります。」
「そうか、それではたのむことにするか。」
それからしばらくして、権太は、よろこびいさんでみちのくへ旅立ちました。
一戸(岩手県)に着いた権太は、名馬をもとめて、毎日、あちらこちらとさがし回りましたが、なかなか気に入ったよい馬が見つかりません。それでも、馬の大すきな権太は、あきらめることなく名馬をさがして歩きつづけ、ついにすばらしい一頭の名馬を見つけだしました。持っていた上等の絹二百ぴきと交かんしたのは、四才になるくり毛の馬でした。
みちのくから熊谷の館につれてこられたくり毛の馬は、権太の世話のかいあって、日に日にたくましく育っていきました。直実も、このくり毛の馬がたいへん気に入り、毎日乗り回すようになりました。
「お館さまのくり毛の馬を見たか、あのつやつやした毛なみのよさ・・・。」
「この間、お館さまが遠乗りにお出かけになったが、そのはやいこと、はやいこと。まるではやてのようだった。」
くり毛の馬のひょうばんは、村人の口から口でつたえられ、近くでは、知らない人がないほどになりました。そして、権太が手しおにかけて育てたということで、この馬は、だれいうとなく、権太くり毛とよばれるようになりました。
それからしばらくして、源氏と平氏との間にいくさが始まりました。
直実は、武蔵国のほかの武士たちと源氏の軍勢に合流し、お気に入りの権太くり毛に乗って京の都へとせめのぼりました。西へのがれた平氏は、一の谷(兵庫県)に陣をしいて源氏をむかえうち、はげしい合戦となりました。
直実は、権太くり毛にうちまたがり、平氏の陣にとびこんで、鬼神のごとくあばれまわり、さんざん敵をやっつけました。しかし、運悪く、権太くり毛は敵の矢をはらに受け、大きなきずを負ってしまいました。
直実は、権太くり毛から下りて、たてがみをやさしくなでながら、
「かわいそうだが、今は合戦のまっただ中、だれもついて帰ってやるわけにはいかない。運を天にまかせて熊谷までたどりつけよ。そうすれば、かならず権太がきずの手当てをしてくれようぞ。」
と、なくなく東へ向けて権太くり毛をはなしてやりました。
権太くり毛は、よろめきながらもしずかに歩き始めました。直実は、権太くり毛をあわれんでやるひまも、見送るひまもなく、平氏の陣へつき進んでいきました。
「おや、馬がたおれている。やや! これは熊谷館の権太くり毛じゃないか。」
と、三本村の道ばたで、一人の村人がさけび声をあげました。その声につられて、近所の人たちが集まってきました。
「ああ、権太くり毛だ、権太くり毛だ。」
「熊谷館の直実さまは、今、合戦中で京の都に行っているはずじゃが・・・。すると、合戦できずを負い、はるばる都から熊谷へ帰るとちゅうだったのか。もう一歩というところまで帰ってきながら権太のいる館までたどりつけなくて、さぞむねんであったろう。」
熊谷館へあと一里(やく四キロメートル)のところまで帰ってきながら息たえた権太くり毛を、あわれに思った村人たちは、手あつくほうむり、「駒形明神社」というほこらをたてました。
しかし、そのほこらがどこにあるのか、今ではもうわからないそうです。
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