どんどん橋の南100mの所に、亀井の井戸があります。
昔この地に、亀井六郎清重という武士がすんでいました。
源義経が鎌倉時代に、兄の頼朝に追われて奥州落ちをするとき、この地に着き急にのどがかわき水を求めました。
清重が、あたりを見渡しましたがどこにも水がありませんでした。とっさの知恵で持っている槍で地面を深く突いたら、清水が湧いて出ました。
義経はこの水を飲んだ所、渇が癒えたばかりか急に体中に生気がよみがえり勃然と勇気がわいてきました。
これを見た清重は、早速この水で風呂をわかし入浴させた所、義経は生まれ変わったように疲労が回復しました。
そして、元気になって奥州への長い旅へ出発することができました。これを伝え聞いた近隣の人々は、この泉を亀井の井戸と呼びました。
その後、絶ゆる事なく霊泉が湧き出て、どんな旱魃にも水の切れることがありませんでした。進んでこの水を求めて医療にも利用しつづけました。
その後、この井戸に石枠を組んで保存しました。
写真にもある通り、「亀井」と言う文字が井戸桁に刻まれ、はっきりと残っています。
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