久下(くげ)の新川地区といえば、今はもう住む人もいなくなってしまいましたが、昔はたくさんの人が住んでいました。
これはそのころの話です。
新川地区は今もそうですが、昔も堤外にあり、毎年のように水に悩まされていました。
ある年、かつてなかったような大水が新川をおそいました。村人たちは高台へ避難して無事だったものの、自分たちが丹精した田畑や、ついさっきまで暮らしていた家が、今にも大水に呑まれようとしているのを、ぼうぜんと眺めておりました。
と、そのときです。とてつもなく大きなうなぎが下流から川をさかのぼってくるではありませんか。
その姿を見て村人たちが、これは神のお叱りにちがいないと土下座して拝んでいると、やがて大うなぎはゆうゆうと泳いで上流の方へ消えていきました。
すると驚いたことに、水がいっせいに上流の方へ向きを変え、大うなぎが泳いでいく方に逆流し始めたのです。
それで村は救われました。
そればかりではありません。それからしばらくしてまたまた大水に見まわれ、今度は急だったため、かなりの村人が激流に呑まれ、もはやこれまでか、と思われた時、またしてもあの大うなぎがあらわれ、おぼれかかっている人々を背中に乗せて、次々に高台へ救い上げてくれたのです。
このように二度までも大うなぎに助けられた新川や久下の人々は、うなぎを神としてまつり、二度と食べなかったということです。
『熊谷市史』『ふるさとのはなし』より
|