須賀広高橋商店の北、松田家に接して、道路西側に、ダイコボー様と呼ばれている古い墓があります。墓は四角と八角の台石を重ねた上に、五〇センチメートルほどの卵塔(卵形をした墓標)が乗っています。墓標には梵字の下に「大廣院暎海大徳」と記され、右側に安永元甲申年、左側に一月八日とも読み取れる年月日が刻まれています。
当所釈迦寺住職、森田氏によると、同寺の過去帳に前記戒名と没年不詳の旨、並びに、吉田氏(旧代官)先祖と添書してあることから、卵塔に記された年月は、塔建立の日とも推定されます。
古老の話によると、暎海大徳は大変偉い坊さんで、村人に読み書きなど教えて非常に敬われていたようですし、死後も村人の願い事を叶えてくださるという有難い坊さんでした。大正から昭和の始めのころは四季折々の作物や果物などがいつも墓前に供えられていました。近くの老人のお供えした塔婆もありました。
なぜダイコボー様と呼ばれているかわかりませんが、戒名の「大徳」は徳の高い坊さんのことなので、戒名から「大広坊様」または「大広墓」様と呼ばれたのかもしれません。今では吉田清さん宅(旧代官)で管理しています。
須賀広のほぼ中心に祀られ、村人の生活を見守ってきたダイコボー様、近年まで桜の大樹の下に立っていましたが、その桜も枯れ果て、卵塔の文字も大分風化して三〇〇年の長い歳月の経過を物語っています。
|