板井のひげ僧様と呼ばれるお坊さんの話は後の所で記しますが、晩年即身仏になるため生きながら塚の中に入った話は入定塚の伝説として伝えられています。
塩の台の小林徳治家墓地に、「寛文六年行海 武州男衾郡塩村 十一月十七日 施主□□十兵衛 小林久七」と記した石塔が塚の上にあります。この塚はかつては山の中にありましたが、今では県道が広がり、道路からすぐ見える位置になりました。この塚については「坊さんだったろうが、自分の寿命を知ってかねを持って墓に入り、かねが鳴らなくなったら死んだと思ってほしいと言って、生きたまま穴の中に入って大往生をとげたのだろう」と伝えられています。
石塔は「寛文六年(一六六六)」という銘がありますので、江戸時代はじめころのことと考えられましょう。
また、成沢の赤城神社境内西側に、寛政五年銘の石塔がありますが、この石塔についても入定塚の伝説があります。
昔、流行病が流行した折、みんなの病気を治すため、自ら犠牲となって生き埋めとなって、竹筒を通して息をして、穴の中で鉦を叩くと生きている証拠なので竹筒を通して水をたらして飲ませてもらって、丸二一日間土中で生きて祈願をしたという、自分の命を犠牲にしても、人々の病気治癒祈願した立派な坊さんがいたといわれています。
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