いつのころか時代ははっきりしませんが、ある日野原の字丸山に住んでいた、きん飴屋という家に、戦いに破れ傷ついた一人の若い武士が落ちのびて来ました。「敵に追われています。どうぞ私をかくまってください」と必死に頼み込みました。きん飴屋は大変気の毒に思い、武士の頼みを聞いて家の戸棚の中に隠れさせました。
二、三日後、思った通り数人の追手が来て、近所の家々を片ぱじから家探しをはじめました。きん飴屋は、災いが自分の身に及ぶことを恐れて、若い武士が自分の家に隠れていることを、追手に話してしまいました。若い武士は忽ち捕まえられ、殺されることになった時、きん飴屋が密告したことを知って深く恨み。「この恨みは決して忘れない。七代末までたたってやる」と言い残して殺されたそうです。
その後、きん飴屋には不幸が続き、家運も傾き、遂には自殺者まで出るようになって家が絶えてしまいました。
附近の人々は若い武士のたたりを恐れ、丘の上に小さな祠を作り、若宮様としてねんごろに祀りました。しかしそのたたりは後々まで続くといわれ恐れられていました。
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